181030_無意味なもの2018/10/30

内田樹氏の連続tweet

内田樹@levinassien
自由学園の高校生たちにお話したこと。現代の学校教育は「無意味耐性」を過剰に高く評価する仕組みです。「無意味なこと」を強要された場合には「この『無意味なもの』は発生的にはどのような意味を持ち、どのような利益をもたらすために設計されたのか?」を問うようにしてください。

内田樹@levinassien
ほとんどの「無意味なもの」は制度設計時点でめざしていた「よきもの」を忘れて、形骸化・惰性化したことの帰結です。無意味な制度を根源的に批判するためになすべきは、その制度が発生時にめざしていた「よきもの」を本気で求めるなら「なすべきなのはこれではない」と論証することです。

内田樹@levinassien
どんな無意味・不条理な制度も起源まで遡及すると固有の「よきもの」をめざしていることがわかります。「昔から決まっていたら」と追随するのはただの思考停止です。「いやだからやらない」というのも思考停止です。「これはいったい何をめざして創られたのか?」という問いだけが思考を賦活します。

内田樹@levinassien
自由学園にもたくさんの因習や伝統があります。その中には大人が見れば意味がわかるけれど、子どもにはわからないものがあります。それを「無意味だと思うけれど、そういう決まりだから」というだけの理由で批判を手控えて従ってはなりません。無意味だと思ったら、「無意味じゃないか」とまずごねる。

内田樹@levinassien
「ごねない子ども」の方が順応性が高いので大人には喜ばれますけれど、みなさんは「ごねない子ども」になってはなりません。ごねて、「これには深い意味があるのだ」と応じられたら、その「深い意味」について考える。偶然的に見える事象の背後には数理的秩序があるのではないかと仮説する。

内田樹@levinassien
ランダムで不条理に見える事象の背後に美しい秩序を直観することから知性の活動は始まります。「疑ってかかる」のはそのためのたいせつな訓練です。無意味な制度に無批判に従える「無意味耐性の高い子ども」は大人にほめられる代償に自らの知性を棄てているのです。そうならないように気を付けてね。

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